証シリーズでは私のこれまでの経験の中で「神様すごい!」「ハレルヤ!」と思った出来事を思い出しながら小出しに紹介していこうとおもいます。今回は中学生の頃、私の書いた作文が先生に選ばれ、文化祭で発表をすることになった出来事についてです。
中学3年生の頃、国語の授業で先生からテーマは自由で作文を書いてきてと言われました。国語の授業の時間に毎回何人かがクラスの前で自分の作文を発表し、1クラスにつき1人ずつが先生から選ばれて文化祭で発表するというものでした。
数ヶ月にわたって毎授業2、3人がクラスの前で発表するのですが、その順番はくじによって決まるのでいつ自分の番がやってくるのかは分かりませんでした。何を書いても良いと言われましたが、逆に何を書いて良いのか全く分からず、書き始めようと思ってもなかなか手が動きませんでした。そんな中でも何か書かないといけないと思い、とりあえずの作文が出来上がりました。正直その時何について書いたかは全く覚えていないのですが、あんまり納得のいくものではありませんでした。とりあえず書いたとはいえ絶対に何か違うな〜という思いがあったので、その後も作文について他に書くべきことがあるのではないか、もっと良いものは書けないかとずっと祈り続けていました。納得のいっていない作文を発表するのは嫌だったので、毎回授業でくじを引く時間になると「今日も当たりませんように」と強く祈っていました(笑)先生がくじを引く前には「当たりませんように」と祈り、家に帰ってからは「何を書くべきか教えてください」という祈りをしていました。
クラスの半数以上が当てられていたので、もうそろそろ自分に当たりそうだなと思っていたところ、ある日、”パッ”と作文にしたい内容が頭に浮かんできました。これまで書いた作文は全部消し、もう一度書き始めました。前は全く動かなかった手がスラスラと動き、短時間で作文が出来上がりました。「これだ!」と満足のいく作文になったので「ハレルヤ!」という気持ちで、書き直した新しい文をまた一から覚え直しました。前は書きたいものではなかったので全然覚えられなかったのですが、書き直した後のものは心から書きたいのもが書けたのですぐに覚えることができました。その時書いた内容は勇気を出すことについてでした。文化祭で劇に勇気を出して参加することを決めたということを書いたものだったと思います。
そして驚くことに書き換えた数日後の国語の授業でくじが自分に当たりました。神様すごい!と思いながら前に出てその文を読みました。そして全員が作文を読み終えた後、先生の独断と偏見で私の作文が選ばれ、文化祭で全校生徒の前でその作文を読むことになりました。正直文化祭で皆の前で読みたい!という願望はありませんでしたが良いものを書きたいとは思っていて、最終的に出来上がったものは自分で書いたというより神様の働きによって書くことができた思っていたので私自身も他の人の作文を聞いた上でなんとなく自分のものが選ばれるような予感がしていました。書き換えたタイミング、その内容、くじが当たるタイミング、全てが備えられていて先生からその作文が選ばれたということに当時中学生の私は本当に感動しました。
そしてそのクラスからは私が読むことになったのですがさらに驚くべきことがありました。私の学年は3クラスあったので1クラスに1人ずつで合計3人が選ばれたのですがその3人全員がクリスチャン(別の教会に通っている友達)だったということです。おそらく他にクリスチャンはいなかったので、学年に3人しかいないクリスチャンが全員違うクラスにいて、その3人が選ばれたというのは偶然とは思えず「神様すごい!」と本当に驚きと喜びの気持ちでいっぱいになりました。中学時代のことですが私にとってはかなり印象深い出来事でした。本当に神様のなさることは時に叶って美しいです。いつかこのことを当時の先生に話せると良いな、と思っています。
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